内面

2022年01月11日

三年周期の暗黒期を前に思うこと。

2022年になりました。
今年もよろしくお願いします。

思い返してみて気付いたことだけど、どうやらここ10年の自分のサイクルは3年で一周している。
3年前の今は未来に絶望しか持てなかったし、6年前の今は解決出来ない問題に無力さを痛感したし、9年前の今は大切なものがようやく危ない橋を渡り切ったのに、近々手放さなければならない予感を払拭できずその通りになった。
それぞれ雲行きの怪しい年のスタートで、やる気も出ず坂を転がり落ちるような日々が続く。そして夏が終わり涼しくなる頃、落ちるところまで落ちたからかやる気がみなぎり生まれ変わったかのような元気を取り戻すというのが毎回のパターンだ。
つまり、今年も恐らくこれから暗黒期に入るか、実感がないだけで既に入っているのだろう。恐ろしいことだ。これまで通り夏ぐらいまでは辛い日々が続くことを覚悟しなければならないのは、気が重い。でもこの周期を自分で変えることは出来ないみたいなので、受け入れて覚悟を決めるしかない。

しかし、この3年間で自分はひとつだけ変わったことがある。
それは「他人が悪くても自分の中に原因を探す」という考え方になったことだ。
それまでもこうなろうと努力はしてきたけれど、自分に余裕が無ければ他人を責めることはどうしてもやってしまっていた。たとえ他人が4悪くて、自分が6悪かったとしても。
今は相手が9悪くても、自分が悪かった1をどうにかしなければと考えられるようになってきた。そりゃ常にというわけにはいかないけれど、以前と比較すればこの傾向は顕著なはずだ。
このように変わることが出来たのは、この3年間で出会った人たちのおかげだ。この3年で出会った人たちは驚くほど優しい人が多く、他人を褒め自分の過ちを探してでも見つけて謝罪できる人たちだった。
そんな人たちと出会う中で、なぜか暗黒期に自分を振り回した嫌な奴のことを思い出すこともあった。それぞれの暗黒期に、必ず自分が辛い思いをするきっかけになった存在が一人ずついるのだ。
再会することがあればまず一発殴らせてくれという気持ちはあるけれど、同時に分かろうともしなかった自分を謝罪しなければとも思えるようになってきた。その後、一発とは言わず気の済むまで殴ってくれても構わない。
やはり当時の自分にも振り回されるだけの理由があったはずだ。

そんなわけで自分の中の暗黒期が始まるのは間違いなさそうで、しばらくは苦しい時期が続くと思う。
しかし3年前から変わった考え方が妙に頼もしく、常に同じサイクルで暗黒期を呼び寄せたのはこの考え方を持てなかったからじゃないかという都合の良い推測を捨てられずにいる。それぐらい、自分の人生における大事な発見であり転換期だった3年間だった。
今回の暗黒期、今までよりは軽々切り抜けられれることを願いながら。


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2020年02月18日

鈍感が優しい人を苦しめる

少し前、槇原敬之が覚醒剤所持で再逮捕された。
最初の逮捕は随分前だが、人気が落ち着き始めた頃で大して興味も無かったので「あの人、捕まったんだ。そういえばヤバそうな目つきしてたかも」ぐらいの認識だった。
しかし彼の脅威は、復帰後にSMAPへ「世界に一つだけの花」を提供して爆発的な売上を記録したことだ。いくら天下のSMAPと言えど、前科のある者が提供した楽曲であんなに売れたのは、やはり曲の力であり作者の力も大きく貢献したと言わざるを得ない。どん底に近いマイナスから、その状況を作り出すことができたのは脅威としか言いようがないだろう。
だから正直、彼に前科があったなんて忘れていたし、今回ばかりは「感動を返せ」と思った。海外のロックミュージシャンなんて当たり前のようにクスリをキメてるし、日本でそういうミュージシャンがいても普段は「そんなもんだよな」と納得するのだが、彼の場合は音楽性も相まってか「感動を返せ」と先に思ってしまう。
しかし、今回書きたいのはそんなことではない。
SNSが当たり前に浸透した今、今回この件についても「自分の主張」の皮を被った「鈍感で自己中な意見」が蔓延している。
中でも「そもそも何で違法なものに手を出すのか分からない。」なんていう浅すぎる意見にはさすがに呆れた。本気でそう思ってるんだろうか。だとしたら、おめでた過ぎて羨ましい。
ここ数年、ミュージシャンや芸能人の覚醒剤絡みのニュースが多いが、その原因の根底に「人気商売」ということが付いて回るのは明らかだ。その人気にすがるタイプでも、やりたいことを優先するタイプでも、生活していくためには世間の人気は意識せざるを得ない。
それでいて沢山のスタッフが自分の仕事で生活しているのだから、社長ではなくとも同じようなプレッシャーと負担がずっとかかる。
そんな状態がずっと続いていたら、人間なんておかしくなるに決まっている。だからこそ、正しいガス抜きが必要なのだ。
やはり、一番いいのは家族を持つことではないだろうか。そっち側の負担も増えるが、はっきりとした居場所ができることは間違いなくプラスだ。
家族が難しければ、何でも話せる友人というのも精神を安定させる上で非常に力になってくれるはず。
しかしどちらも難しかったり、優しさ故に負担となれば、適量以上の酒や、手を出してはいけない覚醒剤にすがってしまう…というのは善悪どうこうでは無く少し考えれば分かるはずなのだ。

そういえば、先日「職場を体調不良で簡単に休む従業員が、何でそんなすぐ休めるか、本当に分からない」というツイートを見た。
このマネージャーは、今までに仕事を体調を理由に休んだことがないらしい。なるほど、それ自体は素晴らしいことだ。
だが、残念ながら世の中は当然そんな人ばかりではないし、むしろ管理する側なら自分のようなタイプは少数だと気付かなければ組織は成り立たない。
なんなら、その正しさに苦しめられている従業員が殆どのはずだ。
あの人みたいにちゃんとしなきゃ、と考えるうちにどんどん肩に力が入っていき、少しのミスも許されないプレッシャーが生まれていくことに、このマネージャーはおそらく気付いていない。ミスをするかしないかではなく、ミスを許されない環境というのは著しく従業員を疲弊させるのだ。
このマネージャーは良くも悪くも鈍感なところがあり、それが心優しい真面目な従業員を追い込んでいる。
これは、顔が見えるか見えないかの差はあれど、覚醒剤で捕まった有名人に対する「そもそも何で違法なものに手を出すのか分からない。」という意見に繋がるところもある…というか、根本は同じだし、そういう人が書き込んでいることは想像に難しくない。
様々な角度から世の中が恵まれていく中、自己中な鈍感と心優しい繊細は二極化していく。今みたいな時代に生きていきやすいのは鈍感の方だが、歩み寄った方がいいのも鈍感の方ではないかと強く思う。


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2019年12月20日

立場が人を劣化させる話

今まで働いてきた中で、立場が人を劣化させる怖さを書いてみる。

どんな仕事でも、「人には責められづらいのに人を責めやすい」職種というのは存在する。
いわゆるお客様窓口は、それに該当する。「お客様の声」を伝える立場なだけに、制作チームを責めることは容易だ(責める、という表現は誤解を生みそうだが、要は意見を伝えるという意味)
責める内容がどうあれ、制作チームは「お客様の声」としてひとまず聞くしかない。何せ、制作に集中したい彼らの代わりに盾となって様々な声を聞いてくれているのだから。
自分はその立場に長いこと在籍していた。面倒な客やクレーマーも勿論いたが、逆に制作チームとのやり取りで居心地の悪さを感じていた。
自分の言うことに耳を傾けてくれると言えば素晴らしいが、そもそも制作チームとお客様窓口を分けてしまうと、それだけで考え方に齟齬が生まれてしまう。
組織が大きくなれば仕方のない部分ではあるが、主体性を持って全体のことを考えながら一方の仕事を誰かに任せるというのは至難の技だ。というか、そんな難しいことをしようとする人自体がなかなかいない。
自分の仕事を突き詰めれば突き詰めるほど、乖離は拡がり、責任のなすりつけ合いになっていく。お客様窓口が制作チームに心ないことを吐き捨てるような場面は数え切れない程見てきたが、そんなやり方でも優位に立ててしまうお客様窓口という立場は、明らかに間違った人格形成を手伝っていたように思う。
結果として、コミュニケーションを取るのが得意でそういう仕事をしていたのに、一方でコミュニケーションが取れない存在として扱われることに繋がってしまう怖さがある。何とも本末転倒な話だ。
しかし、無自覚でそうなってしまっている人は沢山見てきたし、逆にそれぐらい頑固なことを求められる場面もあるから、周りも正そうとはしない。一番危険なのは、その世界が当たり前になってしまうことだ。お客様窓口はあくまで職種のひとつでしかなく、目に見える技術職というわけでもない。
極端な言い方をすれば、手に職を持っているわけでもないのに、周りが耳を傾けてくれる状況は、余命幾ばくもない老人や裸の王様のような扱いや見られ方をする。これを劣化と呼ばずにはいられないだろう。
勿論、そんな状況を自覚して立場を盾に使ったりせずに成長していく人もいる。その先に顧客ではなく従業員の窓口という、マネージャー職がありそのためにキャリアを積むと考えることこそがセオリーなのだから。
「お客様窓口はクレームが多くてメンタルが大変」という世間的な難易度もあるが、「ある種恵まれた環境という危うさ」が付き纏うということを自覚し続けることが、最も本質的に高い難易度だと思った。


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2019年08月09日

パワハラが教えてくれたこと

少し前の話だけど、相当のパワハラに遭って退職したことがあった。
先生のいじめ理論みたいな話だけど、パワハラはしてくる側だけでなく、される側にも原因がある場合は多い。パワハラしてくる側を頭ごなしに批判するのは、それこそパワハラだ。
上司と新人がいたとして、まだ仕事ができない新人を世話して管理するのが大変なのは一度経験したことがあるなら分かるだろう。自分に別の仕事もある中で、人を育てる。これを片手間でできるのは余程優秀な上司か、会社の育成の仕組みが完成されている場合に限る。
そんな上司や会社に巡り会える確率は低い。そもそもそんな上司がいれば、会社の仕組みがあるなら、人は簡単にやめないから、そうそう募集をかけない。
大抵は人を育てられない上司と、育成の仕組みなんて欠片もない会社が殆どだ。
だからこそ上司は人を育てることにもっと向き合わなければいけないし、どうすれば育つかを考えて仕組みにする必要がある。あるんだが、それだけでは駄目な話をしておきたい。
新人は会社が「育ててくれる」という意識があると、学ぶ姿勢にはなっても成長速度が遅くなる。若ければ集中力と記憶力でどうにでもなるかもしれないが、歳をとればどちらも落ちていき、落ちるのは仕方のないことだからこそそんな自分を許容して欲しいという発想になりがちだ。こうなってしまうと成長は著しく遅くなる。成長が遅いんだから、そりゃパワハラも起きやすくなる。
そんな感じでパワハラを受けて萎縮してそれまで出来ていた仕事すら出来なくなり、退職して少し休まないといけなくなったのが、当時の自分だった。
確かにパワハラはしんどかった。あの職場は人間としても同僚としてもしょうもない人ばかりだったと、今でも思う。だが、俺自身もっと仕事ができれば良かったんだし、こんな理由で辞めなくても良かったはずだ。
休んでる間は働きたくなかった。とにかく休むことに専念した。だが知り合いがそんな自分を「人間的に合いそう」とのことで勤務先の役員に会わせてくれて、見事に気に入ってもらえて社会復帰することになった。
しかし何も変わってない俺は仕事ができないままだ。おまけにブランクまで出来ている。働くことが怖かったし、最初の現場ではうまく立ち回れなかった。
パワハラは無かったが、やはり成長させる仕組みも無かった。新人向けのマニュアルもない。まあここまでは珍しくない職場なのだが、自習時間が長いという特徴があった。
自分はこれを新人向けのマニュアル作りに費やした。「そんなもの無くても大丈夫だよ」と言われたが、本当に物事が覚えられない俺が大丈夫じゃなかったから、新人=自分のために作った。
結果、相性もあり最初の現場の仕事は出来ないままだったが、空き時間の度に充実していったマニュアルは評価されていたと思う。自分より後に入ったメンバーにも感謝された。
自分を採用してくれた役員が、次の現場の面接で「彼はマニュアル作りを進んでやってくれるんですよ。こういう人物は貴重ですよ」とアピールしてくれて、そこで着任が決まり今に至る。
マニュアル作り得意なの?と聞かれるが、得意なはずがない。言ってしまえば自分用のメモなのだから。思い返してみれば、前は「マニュアルがないんだから仕事を覚えるのが遅いのも当たり前。上司とは勤続年数も違うんだから仕方ない」と考えていた。しかしその結果としてパワハラに繋がったわけで、やはり新人側も育ててくれるという意識だけではなく、自ら育つ努力は持たなければいけないと思った。
自分の場合、マニュアル作りは自分が覚えるためのメモでもあり、会社に感謝されてモチベーションに繋がる仕事でもあり、新人との関わりを作るツールでもあり、一石何鳥にもなり得る作業だった。
新人力のない自分が、パワハラを受けたところから始まって自ら学んだことだった。

だからもし、パワハラで苦しんでる人がこの記事を見たとしたら伝えたい。
パワハラは最悪だ。解決されないと判断したら辞めてしまった方がいい。
だが、どこもそんなもんだ。だったら自分で自分が働きやすくなるように変えていった方がいい。それはパワハラがある方がそういう発想にしやすい。
自信も無くしてるかもしれない。しかし得意なことなんか、いらない仕事も沢山ある。むしろ苦手なことを逆手に取って対策するやり方だってある。
パワハラはマジでいらない。
だが、こんな具合にパワハラが教えてくれることも、無いとは言い切れない。





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2019年01月10日

電池切れ。

意気がって書いた前回の記事の決意表明はどこへやら。
完全に電池が切れてしまった。
頑張り過ぎなんて綺麗な言い方をされがちだけど、違う。ただ馬鹿なだけ。
無駄なところばかり真面目で、肝心なところが適当で、結果何もできない男でしかない。
それでも毎日は過ぎていくわけで、どうにかレールの上を走る術を見つけなければいけない。
ただ、今は少し休まないとそれもできないみたい。


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