記事を斬れ!

2019年12月27日

「好きなことを仕事にする」が蔓延する違和感と恐怖

月収6桁の中学生ブロガー、「就職したくないから稼げるようになりたい」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191225-00209441-hbolz-soci

なんともイラッとさせられる記事だ。
だがインタビューなんてバズらせるために平気で嘘も書くし誤解を生む表現に変えたりもするから、彼自身は否定しない。
問題は「好きなことを仕事にする」人がどんどん増えていることだ。文字面だけ見れば素晴らしいことに思えるが、果たして実際はどうなのか。
この記事で気になるのは「学校には行きたい時しか行ってないし、嫌い。教え方が古いし、勉強できないからって頭が悪いとは限らない。そもそも学校の勉強は将来のためにならない」という考えを話しているところだ。
中学3年でこれだけの収入があるだけでも凄いことだし、注目されて記事になるほどの影響力でこんなことを話してしまっては、かなり危険だ。
学校に対する考えは、確かにその通りかもしれない。というか、同じようなことは誰しも思う。かといって、誰でも彼みたいになれるとは限らないところを見落としてはならない。
「好きなことを仕事にする」のは確かにハードルが下がったかもしれない。SNSが普及し、情報は溢れているこの時代に「好きなことを見つけて仕事にする」というのはむしろ必要な能力として認識され始めているかのように思う。
しかしその一方で「好きなことを見つける」ハードルは上がっている。何でも出来てしまう、情報も十分なこの時代にひとつだけ選択するというのは迷ってしまう人も多いはず。
そういうところから繋がって、相談相手を作る意味でも学校に行くことは大事だ。上から目線で「合わせてる」なんて言い方をするのではなく、同年代は何を考え、何に興味を持っているか知るのもある種学びであり勉強だ。人を知ることを通して自分も知ることもできるのだから、生きていく上で大事な勉強だろう。
学校にいるのは気の合う友達ばかりじゃないからこそ、学べることも多い。

ついでに、学校の勉強は生きていく上で本当にためにならないのだろうか。
そんなことはない。
あれだけ苦痛な勉強をする経験、否が応でも周りと比較される経験は、忍耐力を鍛えることができる。
好きなことを仕事にできなかった人間には、生きていく上でとても大事な力だ。
好きなことを仕事にした人間だって、好きなこと「だけ」を仕事にできるはずがないので、やはり忍耐力は大事だ。
「苦手なことは人に任せるから大丈夫です」なんて言われるかもしれないが、人に任せるということにも忍耐力は必要になってくる。逃れられないのだ。

好きなことを仕事にできなかった人間は、好きなことを仕事にする人間の台頭で、徐々に居場所を無くしつつある。
しかし、だからといって生きる意味がないなんてことは絶対にない。
好きなことを仕事にする人ばかりでは、その人たちがやりたがらない仕事をする人間がいなくなり、社会が回らない。好きなことを仕事にするのは勝手だが、そうではない人も一定数必要なのだ。

なんとなく「好きなことを仕事にする」というフレーズが美化されたものと感じてしまうので、それがなぜなのか突き詰めて考えてみると「好きなこと=お金」で、「好きな仕事=楽して稼げる方法」でしかないのだろうと思う。
それの何が悪い、とは言わないが、人としての魅力は個人的には感じられない。
仕事は嫌だけど生きていくためにがんばっている人だとか、欲しいものが買いたくて面倒な人間関係に消耗しながら日々過ごしている人の方が、やはり魅力的に感じられてしまうし、生きていく上での忍耐力は確実に持っていると思う。

だから、好きなことなんか見つけられずに好きでもない仕事をしている方々、あなた達の方が上です。肩を落とさずに。
今年もお疲れ様でした。


dai9101 at 17:36|PermalinkComments(0)clip!

2019年12月12日

読解力と、思ったことを文章にするプロ

武井壮氏のツイートが話題を集めているらしい。


なるほど、確かにその通りだ。
少し話は逸れるが、日本語というのは簡単そうでとても難しい。
「簡単そう」が故に、苦手意識を持たずに思い付いたまま文章を書いて様々な誤解を生み、周りを困惑させる人がいる(それを逆手に取って稼いでいるのが、見出しオチのインチキライターだろう)

逆に「日本語が難しい」ことをしっかりと自覚し、誤解のないよう伝えることにやたら慎重な人というのも沢山存在する。そういう人が、仕事はともかくとして、プライベートぐらいシリアスな方向への誤解を防ぎたいという感情を支援して流行ったのが、絵文字という文化だ。

勿論中間も存在するとはいえ、SNSの普及で増えたのはこの2タイプだろう。
どちらが良い悪いではなく、また自覚無自覚は関係なく「文章で自分の思っていることを誤解なく伝えるのが苦手」な人達に分類できる。

一方で、ここ最近は読解力低下についてもネットニュースで見かける。
読解力が低下するのは、スマホで得られる情報が多すぎて読み切れないからというのが誰もが思いつく理由として挙げられる。
そもそもタダで得られる情報に有難味も感じづらく、書く側も「深く読まれる」ことよりも「多く読まれる」ことを目的としているので、必然的に情報の質が薄くなる。これに慣れてしまうことが、読解力の低下に起因していると考えて間違いは無さそうだ。
だから、本質としては読解力の低下ではなく、薄い情報への慣れと言った方が正しいかもしれない。
薄い情報、そう。
ネットでの心ない誹謗中傷も、薄い情報に分類される。あんなものは、限りなく薄い情報だ。
読み手のことを考えず「みんな書いてるから」というだけの理由で、感情に任せて安易にSNSで誹謗中傷を書けてしまうタイプの人間こそ、最も読解力の低下に陥りやすい。
薄い情報に慣れ、書いた後のことを考えてようがいまいが行為を行う。
文章というよりも、読み手への読解力の無さを象徴した行為だ。こんなことを繰り返していては、書き手の感情を表した文章を読解する力も落ちていくのは当然だ。
当たり前だが読解力は「文章から意味を読み取る力」だけを指しているわけではないし「書くこと」と「読むこと」は凄く密接に繋がっている。
「自分は誹謗中傷しないから無縁だ」と思ってる人もいるかもしれないが、薄い情報に慣れているだけでもコミュニケーションロスに大きく繋がるから、すれ違いとかパワハラの原因になっていると個人的に思う。もはや今の時代、読解力の無さは誰もが他人事ではないように思う。

さて、ここまではごく当たり前のことを長々と書いただけだが、どうすれば読解力は付き、自分の思っていることをちゃんと文章にできるんだろうか。
かくいう自分も、誹謗中傷こそしないが薄い情報に慣れて読解力が致命的に落ちている一人だ。結果として誤解を生む文章も、実際に沢山書いてしまっていると自覚している。みんな、ごめんなさい。

そんな自分が、ここから読解力と文章力を身に付けるためにはどうすればいいか。

読書をするのは確かに効果的に見える。自分でお金を払って購入して読んだ小説に限っては「あらすじの説明うまいね」と言っていただくことがある。
しかし、そもそも読解力が落ちているのだから、自分が説明しているあらすじというのは既に薄くなってしまっていることだろう。小説を読んだことのない聞き手の感想など、参考にしてはいけないはずだ。
そう考えると、読解力を「読むこと」に慣れて身に付けるのは難しい気がしてきた。書き手の気持ちを読み取るというのは、まだ今の自分にはハードルが高い気がする。

では「書くこと」はどうだろうか。
思い返してみれば、昔ブログを頻繁に書いていた頃は、人間としての深みは今と変わらず無かったとはいえ、少なくとも今よりは思ったことを文章にするのが得意だった気がする。
最近は全く書いていないし、書こうとしてもまとまらない。これは文章力に加え、自分の感情への読解力が落ちているからだろう。ああ、なんと情けないことか。

そういえば、たまに更新される友人のブログを昨日見てみたら、とても読みやすく、言いたいこともまとまっていた(にも関わらず、本文を越える長さでコメントしてごめんなさい)
友人はライターのようなプロではないが、自分の思ったことを文章にするプロに思えた。

そうか、そう考えていくと書くことへの慣れから全てが始まっているのかもしれない。
だいぶ筋肉痛だが、久々にブログをまめに更新してみようか。
ブログも随分と廃れた文化だが、Twitterの短さに妥協するよりも、思っていることを絞り出して書き直しながらそれなりの長さの記事にする方が、自分の思っていることと向き合えて、考えることもできて、読解力にも繋がるんじゃなかろうか。

というわけで。
しょうもない誹謗中傷をしている内弁慶の方々へ、ついでに伝えたい。
思ったことをそのままTwitterに載せるんじゃなく、まずなんでそんなことを思ったのかブログ(日記でもいいけど)に長々と書いてみてはどうだろうか。
書いているうちに自分の感情を読み解くことができるから、「本当に嫌なのは何か」も理解できて、ひょっとしたら質の高い納得感のある誹謗中傷ができるようになるかもしれないぞ。
そんな時間かけてたらそのネットニュースが流れちゃうって?
大丈夫、流れる頃には誹謗中傷する気なんて、とっくに無くなってるだろうよ。

「誹謗中傷はその程度の行為でしかない」と気付くためにも、自分はブログという偉大な文化の再興を願います。

dai9101 at 20:54|PermalinkComments(0)clip!

2017年09月20日

安室奈美恵の引退。

安室奈美恵が来年で引退を発表した。
あの美貌とキレッキレのダンスとハリのある歌声が今でも健在と考えれば、さすがに驚きを隠せない。そんな人が殆どだろう。
だがしかし、彼女はもう高校生ぐらいの子供がいる40歳の母でもある。
イケイケな10代のままではいられないし、
歌手としての実力が問われ始めた20代のままでもいられない、
本格派としてひとつの形を作った30代のままでもいられないという気持ちは、もしかしたら生まれて当然なことなのかもしれない。

母をあんな形で亡くし、
旦那とは離婚してシングルマザー、
恩師プロデューサー小室哲哉が逮捕される等、不運続きなイメージが強い彼女が背負ってきたものはとてつもなく重かったに違いない。
それでも疲れを見せず、第一線で活躍し続けたのだから、早く引退したっていいだろう。

安室奈美恵と言えば、
彼女が書いたわけではないけど「Baby Do'nt Cry」の歌詞が個人的には凄く好きだ。
多分彼女はこうやって困難を乗り越えてきたんだろうと感じさせる素晴らしい歌詞だと思う。

dai9101 at 23:37|PermalinkComments(0)clip!

2017年03月28日

考えて当たり前、という思考

某会社の不祥事がひどい。
あの対応で済むと思ったんだろうか。
その後にどうなるか、まで考えられなかったんだろうか。
きっとそうだろう。
しかし、これは無知が故に起こり得てしまうものだ。
最初は誰だって何も分からない。仕事においても、先人が道をちゃんと作ってなければ、何も分からないところからのスタートになるのは仕方のないことだ。そこでしっかり危険を察知するというのはなかなか難しいものだ。
世間一般ではそれぐらい考えて当たり前、というようなところまで目が行き届くのは、とても近いようで案外遠い。

また別の某会社は、詐欺とも取れるような運びになってしまった。
しかし、元々そんなつもりはなかったはず。結果として、そうせざるを得ないところに行き着いてしまったというだけの話。
それぐらい、考えられただろう。当たり前のことだろう。
渦中にいない人は、外から物事がよく見えるからそう言える。
ということを忘れずにいよう。

dai9101 at 21:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年07月26日

SMAP解散

今年初め頃からまことしやかに囁かれていたSMAP解散が、現実として報道された。

なんか総じて、凄いグループだったな。
芸人顔負けのMCをする中居君と、高視聴率ドラマの常連のキムタク。そりゃ他3人は劣るかもしれないけど、みんな映画主演レベルのメンバーだ。何より、それを20年以上続けてたのが、凄い。
いなくなったことにされた元メンバーの森君に生放送で呼びかけたのも記憶に残ってる。
30代ぐらいなら、ジャニーズと言えばSMAPという世代に当たるんだろう。

それにしても、この解散はあまりにも後味が悪い。
解散報道後のスマスマで、明確なことを言わない緊急生放送や、その後に流れた世界に一つだけの花。
元マネージャーについていき、ジャニーズを離れるという事実に近そうな憶測。
中居君がさんまに突っ込まれて「僕らは大丈夫ですから」と発言したこと。
この半年は一体、何だったんだろうか。
何とか継続させようという意志の元に活動していたんだろうけど、結果として、この解散だとジャニーズという組織の黒さを知らしめて世の中にその影を落としたというだけだろう。
ジャニーズを離れるメンバーが、これから大きな圧力をかけられることは想像に難しくない。
それでも耐え抜いて、いつかほとぼりが冷めたら、ぶっちゃけ番組で包み隠さずとまではいかずとも、視聴者にある程度話してくれる日が来るんだろうか。

各々イバラよりも険しい道を切り抜けることが出来たなら、この苦しい解散を笑って振り返る番組を見てみたい。

dai9101 at 17:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!