日記

2021年01月16日

『能天気な答え』

新年あけましておめでとうございます。
随分書いてませんでしたが何とか生きてます。
本当なら東京オリンピックの余韻で明るい世の中だったはずなのに、新型コロナウイルスなる元凶のせいでかつてないほどの暗い時代に入ってしまっている。
今年成人式を迎えるはずだった人たちのやりきれなさは、想像するのも辛い。

世の中が不安になると、人は無意識に責任逃れを始め、攻撃的になる。それが負のスパイラルとして確立することをこの1年で学んだ。
しかし、こんな状況では仕方のないことでもある。明日どうなるかの想像もつかないような時代に「責任逃れはやめろ」なんて言えやしない。
だから自分だけでも、意識してその負のスパイラルに加わらないよう気を付けるだけ。

新曲「能天気な答え」はそういうことも含め、今思うことをストレートに詞にしました。


今年もよろしくお願いいたします。
来年もこの挨拶ができますように。

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2020年02月18日

鈍感が優しい人を苦しめる

少し前、槇原敬之が覚醒剤所持で再逮捕された。
最初の逮捕は随分前だが、人気が落ち着き始めた頃で大して興味も無かったので「あの人、捕まったんだ。そういえばヤバそうな目つきしてたかも」ぐらいの認識だった。
しかし彼の脅威は、復帰後にSMAPへ「世界に一つだけの花」を提供して爆発的な売上を記録したことだ。いくら天下のSMAPと言えど、前科のある者が提供した楽曲であんなに売れたのは、やはり曲の力であり作者の力も大きく貢献したと言わざるを得ない。どん底に近いマイナスから、その状況を作り出すことができたのは脅威としか言いようがないだろう。
だから正直、彼に前科があったなんて忘れていたし、今回ばかりは「感動を返せ」と思った。海外のロックミュージシャンなんて当たり前のようにクスリをキメてるし、日本でそういうミュージシャンがいても普段は「そんなもんだよな」と納得するのだが、彼の場合は音楽性も相まってか「感動を返せ」と先に思ってしまう。
しかし、今回書きたいのはそんなことではない。
SNSが当たり前に浸透した今、今回この件についても「自分の主張」の皮を被った「鈍感で自己中な意見」が蔓延している。
中でも「そもそも何で違法なものに手を出すのか分からない。」なんていう浅すぎる意見にはさすがに呆れた。本気でそう思ってるんだろうか。だとしたら、おめでた過ぎて羨ましい。
ここ数年、ミュージシャンや芸能人の覚醒剤絡みのニュースが多いが、その原因の根底に「人気商売」ということが付いて回るのは明らかだ。その人気にすがるタイプでも、やりたいことを優先するタイプでも、生活していくためには世間の人気は意識せざるを得ない。
それでいて沢山のスタッフが自分の仕事で生活しているのだから、社長ではなくとも同じようなプレッシャーと負担がずっとかかる。
そんな状態がずっと続いていたら、人間なんておかしくなるに決まっている。だからこそ、正しいガス抜きが必要なのだ。
やはり、一番いいのは家族を持つことではないだろうか。そっち側の負担も増えるが、はっきりとした居場所ができることは間違いなくプラスだ。
家族が難しければ、何でも話せる友人というのも精神を安定させる上で非常に力になってくれるはず。
しかしどちらも難しかったり、優しさ故に負担となれば、適量以上の酒や、手を出してはいけない覚醒剤にすがってしまう…というのは善悪どうこうでは無く少し考えれば分かるはずなのだ。

そういえば、先日「職場を体調不良で簡単に休む従業員が、何でそんなすぐ休めるか、本当に分からない」というツイートを見た。
このマネージャーは、今までに仕事を体調を理由に休んだことがないらしい。なるほど、それ自体は素晴らしいことだ。
だが、残念ながら世の中は当然そんな人ばかりではないし、むしろ管理する側なら自分のようなタイプは少数だと気付かなければ組織は成り立たない。
なんなら、その正しさに苦しめられている従業員が殆どのはずだ。
あの人みたいにちゃんとしなきゃ、と考えるうちにどんどん肩に力が入っていき、少しのミスも許されないプレッシャーが生まれていくことに、このマネージャーはおそらく気付いていない。ミスをするかしないかではなく、ミスを許されない環境というのは著しく従業員を疲弊させるのだ。
このマネージャーは良くも悪くも鈍感なところがあり、それが心優しい真面目な従業員を追い込んでいる。
これは、顔が見えるか見えないかの差はあれど、覚醒剤で捕まった有名人に対する「そもそも何で違法なものに手を出すのか分からない。」という意見に繋がるところもある…というか、根本は同じだし、そういう人が書き込んでいることは想像に難しくない。
様々な角度から世の中が恵まれていく中、自己中な鈍感と心優しい繊細は二極化していく。今みたいな時代に生きていきやすいのは鈍感の方だが、歩み寄った方がいいのも鈍感の方ではないかと強く思う。


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2019年12月23日

音楽聴くなら、サブスクよりも図書館を勧める話。

最近また図書館に足を運ぶようになった。きっかけは仕事で取り扱うテーマを題材にした漫画を読みたかったからだった。
図書館というのはめちゃめちゃ便利な施設で、10年ぐらい前まで毎週通っていた。
といっても書籍を借りることはあまり無く、どういう基準で選ばれているかよく分からないCDを借りまくっていた。
そこで知ったジャンルやアーティストも多く、当時音楽の道を志していた自分にとって非常にいい勉強の場となっていた。
あれから10年ほど経ち、図書館に行くことは全く無くなった。
その間に、世の中は飛躍的に便利になった。音楽はYouTubeやサブスクで、アーティストよりもジャンルで聞かれる時代。書籍も電子化が進んだ。
今となっては、図書館は静けさを売りにした自習場所としての役割しか担っていないかもしれない、なんて思っていた。

しかし、久々に足を運んで、図書館の価値はそれだけじゃないことが分かった。
図書館は、自分みたいなサブスク時代に馴染めないズボラな人間にとって救いの場だった。
探せば自分の聞きたい音楽が幾らでも探せるという、便利すぎるサブスク時代なのにどうも自分は馴染めない。
「自分の好きな音楽を探す」というだけの検索行為なのに、面倒なのだ。昔音楽の道を志していた人間にあるまじき感情だが、本当なのだから仕方ない。
あと、「音楽をジャンルで聞く」というのもあんまり好きじゃない。これは音楽の道を志していたからかもしれないが、どんな音楽でもその人の演奏や曲だから好きになるわけで、音楽性が似てても全然響かないことはあるし、逆もある。というか、そうじゃないとただでさえ狭い好きな音楽の幅がもっと狭くなってしまう。
だから「この曲いいな」と思って聞いてたところに「じゃあこれもおすすめですよ」って勧められるあのシステムは自分には不要だ。
その点、図書館はとてもいい。
相変わらずどういう基準で選ばれているのかよく分からないCDが沢山あって、自分が好きアーティストのCDもあれば、全く興味がないアーティストのCDもある。
資料数はサブスクに比べれば何百分の一かもしれないが、自分が音楽を聴くペースを考えれば十分。そして「案外限られた資料数の方が普段聞かない音楽に手を伸ばしやすい」ことに気付けたから、これからも図書館に軍配が上がることだろう。
きっと、自分みたいなタイプの人が今でも図書館に集っているはず。
そう考えると、図書館にいる人たちと触れ合うことは無くても仲間意識が湧く。

そうは言っても自分みたいなタイプは多くはないだろうし、ネットに強い高齢者だって増えてきている。図書館の未来もどうなることやらという時代だ。
そういう経緯もあり、再び愛用している図書館の素晴らしさを書き残すことにした。
これを読んだ普段図書館なんか行かない人が、年末に図書館に足を運んで魅力を知ってもらえたら、とても嬉しいです。


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2019年12月20日

立場が人を劣化させる話

今まで働いてきた中で、立場が人を劣化させる怖さを書いてみる。

どんな仕事でも、「人には責められづらいのに人を責めやすい」職種というのは存在する。
いわゆるお客様窓口は、それに該当する。「お客様の声」を伝える立場なだけに、制作チームを責めることは容易だ(責める、という表現は誤解を生みそうだが、要は意見を伝えるという意味)
責める内容がどうあれ、制作チームは「お客様の声」としてひとまず聞くしかない。何せ、制作に集中したい彼らの代わりに盾となって様々な声を聞いてくれているのだから。
自分はその立場に長いこと在籍していた。面倒な客やクレーマーも勿論いたが、逆に制作チームとのやり取りで居心地の悪さを感じていた。
自分の言うことに耳を傾けてくれると言えば素晴らしいが、そもそも制作チームとお客様窓口を分けてしまうと、それだけで考え方に齟齬が生まれてしまう。
組織が大きくなれば仕方のない部分ではあるが、主体性を持って全体のことを考えながら一方の仕事を誰かに任せるというのは至難の技だ。というか、そんな難しいことをしようとする人自体がなかなかいない。
自分の仕事を突き詰めれば突き詰めるほど、乖離は拡がり、責任のなすりつけ合いになっていく。お客様窓口が制作チームに心ないことを吐き捨てるような場面は数え切れない程見てきたが、そんなやり方でも優位に立ててしまうお客様窓口という立場は、明らかに間違った人格形成を手伝っていたように思う。
結果として、コミュニケーションを取るのが得意でそういう仕事をしていたのに、一方でコミュニケーションが取れない存在として扱われることに繋がってしまう怖さがある。何とも本末転倒な話だ。
しかし、無自覚でそうなってしまっている人は沢山見てきたし、逆にそれぐらい頑固なことを求められる場面もあるから、周りも正そうとはしない。一番危険なのは、その世界が当たり前になってしまうことだ。お客様窓口はあくまで職種のひとつでしかなく、目に見える技術職というわけでもない。
極端な言い方をすれば、手に職を持っているわけでもないのに、周りが耳を傾けてくれる状況は、余命幾ばくもない老人や裸の王様のような扱いや見られ方をする。これを劣化と呼ばずにはいられないだろう。
勿論、そんな状況を自覚して立場を盾に使ったりせずに成長していく人もいる。その先に顧客ではなく従業員の窓口という、マネージャー職がありそのためにキャリアを積むと考えることこそがセオリーなのだから。
「お客様窓口はクレームが多くてメンタルが大変」という世間的な難易度もあるが、「ある種恵まれた環境という危うさ」が付き纏うということを自覚し続けることが、最も本質的に高い難易度だと思った。


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2019年12月13日

キャッシュレスとダイエットは似ている。

そんなわけで、もう少しぼんやり思うことをまた書いていきます。

「キャッシュレス」というフレーズが浸透し出したのはいつからだろうか。
やはり安倍首相が慣れない口ぶりで「キャッシュレスを推進します。2025年までに決済比率を40%まで引き上げるのが目標です」と発表した辺りからか。
「キャッシュレスによるポイント還元は、消費増税の対策」なんて表向きは完全に見せかけで、誰がどれだけ使ってるかを管理したい目的があるのは明らかだ。
そんな冷めた視線をよそに、「◯◯pay」は令和元年の今年に流行語へノミネートされるほどよく聞くフレーズとなり、世の中へ浸透した。
そりゃあ1円でも安く買えるなら、戻ってくるのなら、飛び付くのが人間の性だ。しかも増税が絡んだ今回は店舗側が「実質安く売れる」というメリットまである。政策の真の目的なんか、いちいち考えていたら損するだけだ。その考えは確かにそうかもしれない。

自分もキャッシュレスは使っている。というか、キャッシュレスなんてフレーズが使われる前からクレジットカードは使用していたし、電子マネーで支払いもしていた。
ポイント還元の方も、元祖となるスタンプカードの頃から飛び付いて貯めていた。大した還元はないのに、得した気分になれる。そのためにやたらとスタンプを押してもらってた頃が懐かしい。
貯金を崩さないと支払えないような額をカード払いにして、ろくに計算もせず付帯するポイントサービスに期待したら大きく裏切られたことも何回もある。
そんなわけで、キャッシュレスに10年以上振り回されてきた自分が今思うのは、「こんなものに期待するな」ということだけだ。
たかだか数%の還元のために、無駄な浪費をしていては本末転倒もいいとこだ。
かと言って、生活する中で何も買わないなんて極端なことも現実的に無理な話。
付き合い方として大事なのは、ダイエットと同じで「いかに生活に組み込ませるか」だ。
日々生活する中で必ず購入しなければならない買い物をする時に恩恵を受けられればそれで十分で、それで得られる還元なんて、最寄り駅のひとつ前から歩くダイエット程度のものなのだ。
そう考えたら結果もたかが知れているし、そのために買い過ぎる行為は「痩せるために全く食べないでいたのに案外体重が減らなかった」みたいなことに陥りかねない。
「買わなさ過ぎる行為も「少しの運動なんかで痩せないと決め付けて全く運動せず、代謝の低下で太っていく」みたいなことに繋がりかねない。
ダイエットと同じで、無茶をする必要なんかないと、個人的に思う。
昨今は大々的な広告が多く出ているので、どうしてもおまけ付きお菓子で言う「メインのおまけ」的にポイント還元が見えてしまう。
しかし実際にはお菓子の方で、「何の驚きもないラムネ」がポイント還元だ。一定の店でしか使えないポイントの還元量が多かろうと、おまけぐらいの満足を得ることはまず出来ない。
あくまでま昔から変わらない身体に悪いラムネが沢山もらえるだけ。
そう肝に銘じておくことが、キャッシュレスとうまく付き合っていく秘訣だと思う。


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