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2010年08月01日

楽器がうまい人間、良い曲を書く人間。

ギターを始めて随分長い時間が経った。
そんな中で様々なミュージシャンに出会ってきたけど、そこで気付いたこと。
年齢、パートに問わず楽器が物凄く上手い人間は、普段人間的にめんどくさい主張だとか自信がある。そうじゃなければならないのだろう。一緒に音を出してても他人の音に文句ばかり言う。苛立ちを見せてなくても苛立っているに違いない。しかし、それ以上に自分の音に葛藤しているからこそ、文句も出るのだろう。
逆に柔軟だったり優しい人は演奏にムラがある。多分、自分でその事に気付いていない。というか気付けないんだ。
そもそも、これはミュージシャンに限った話じゃない。どんな社会でも一癖ある人だとか自信家じゃないと上には行けない。ただのいい人はいい人が故にそれなりのポジションで終わる。
自分はどうなんだろう、と考えた時に楽器が物凄くうまいタイプではないし柔軟でも優しくもない。こういう中途半端が一番良くないのかもしれないが、俺はそんな自分に自信を持ってる。自分だけは自分の味方でいたい。

良い曲を書く人は、楽器がうまい人間と似てるようで違う。
イメージがあるかどうか、に尽きる。
楽器がうまい人間にはサウンドのイメージがあることは多いけど、それだけじゃ良い曲は書けないというのが俺の見解。もっと広い意味でのイメージ。良い曲を書く人間はプロモまでイメージできてる。ライブで演奏した時の空気感までイメージしてる(できてる、とまでは言わない)
良い曲の定義なんて無いけど、いつの時代にも歌われるという意味で良い曲は絶対にあると信じてる。
だがそれを書ける人間は、現代にそういない。
恐らく、便利になり過ぎて作曲時のイメージが陳腐になってる人が多いからだろう。
今の時代はコンポーザーにとって最大の強敵。
だけど、そんなもんかわさないでどうする。

dai9101 at 15:51│Comments(1)TrackBack(0)clip!

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この記事へのコメント

1. Posted by Cony   2010年08月03日 09:42
自分だけは自分の味方でいたい。
さすがです。

音楽に限らず、
自分の基準に厳しい人と
一緒に何かをすると
鍛えられますね。

便利な社会になって
強烈な願望が消滅。

じゃ、どうする?
というのが業界問わず
テーマでしょうか?

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