2018年03月

2018年03月29日

居場所。

自分が居心地のいい居場所があるように、居心地の悪い居場所も必ずある。
若いうちは、自分が見えていないからか、弱いからか周りが悪いと思い込んでいた。しかし大人になるにつれて、それは間違っていると気付いた。周りがどんなに気を遣おうが、気を遣わなかろうが、結果はそこまで変わらない。
かといって自分が悪いとも言い切れない。突き詰めれば、相性というものはどうやっても立ちはだかる。
加えて、それまで培ってきた経験と形成されてきた価値観も邪魔をする。
これを全部加味して分かち合うことの方が、稀なことだ。
それでも何とか居心地の良い場所を作り出す人、それはもしかしたら実際にはそう見せてるだけで実際には凄く居心地が悪いのかもしれないけど、そんな自分を受け入れて居場所にしている人を、尊敬してしまう。


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2018年03月21日

風潮。

もう随分前から、終身雇用という言葉が過去のものとされ始めている。
どんな大企業でも、明日どうなるか等読めない世の中。
そんな中でも、ずっとフリーターで社員にまでしてもらえた今の会社のグループに大分救われてきたし、そこに甘んじている自分がいた。
こういう世の中になったことで、「自分のことは自分でやる」という考えが必要とされる風潮になってきた。
俺自身、勿論起業しようなんて考えちゃいないけど、今勤めている会社、業界でしか通用しないスキルが多いことを最近よく考える。
それぐらい承知の上で社員になったんじゃないのかと言われたらそれまでだし、実際どこの会社も似たようなものなんだろうな、とも思う。
しかし、1日の約半分を費やす仕事が、今後の人生を左右するのは当たり前のこと。
俺には、その辺りの覚悟が足りなかった。30代を迎えたことによる焦りもあった。
なったらなったで、それまでの経験をそのまま成果に繋げることによる表彰の機会も一度や二度ではなかった。
これによって自分を過信しているつもりはないし、かといって全くスキルがないとも思っていない。
しかし、その先に何があるか。それは見えていない。
今のような風潮があるからこそ、尚更だ。


dai9101 at 18:13|PermalinkComments(0)clip!内面 

2018年03月19日

苦手から始まる人生。

苦手なこと、嫌いなこと。
それだけまだ得意になれる、好きになれる伸び代があると前向きに考えられるような幸せな人生を送ってきたと我ながらよく思う。
それでもまだまだ何もできない取り柄のない30代ではあるけど、最初の印象が悪かったことでも、いつの間にか好きになれていたり、そこまでは行かずとも慣れていたりする。
自分では苦手なことでも、やるしかなくてやっているうちに周りからは得意なことだと思われてることもよくある。これは不本意だし勘弁して欲しいことも多々あるけど、気付かないながらも得意になっていたことを嬉しく思える場合もたまにある。
どうしてだろうか。
最近そんなことを一から考えた結果が出た。
そもそも、俺は無気力に生きている。出来ることなら何もしたくない。
そのくせ、本当に何もせずにいると不安になる。この考えだと、大抵が「やりたくないけど、やらなきゃいけないこと」という位置付けになる。
その中でもやりたくないことは極力やらない、けどそれが出来る自分に憧れもあったりする。
この優柔不断なハッキリしない信念もどきが、苦手なことをいつの間にか周りに得意と錯覚して見られた時に、嬉しく思える原因なのだろうと思う。

「これ苦手なんですよ、出来るだけ関わりたくない」なんて話を他人がしているのを見ると、共感も出来る分、駄目な自分の生き写しのように見えてとやかく言いたくなることがある。でも言わない。
苦手なことを克服するのは、人に言われて動き出すよりも、人に錯覚されて気付く方が間違いなく効果的なことを、俺は誰よりも知っているからこそ、説教みたいなことは絶対にできない。



dai9101 at 09:51|PermalinkComments(0)clip!内面 

2018年03月18日

「今」に馴染めない。

流行りには鈍感だ。
というか、流行っているというだけで嫌悪感がある。
かと言って、自分に確固たる信念があるわけでもない。世間の熱が冷めれば、急に夢中になったりもする。流行る前に夢中になって流行り出したら冷めるパターンもあるけど、前者の方が圧倒的に多い気がする。
単なる時代遅れ、センス遅れ。それもあるのは間違いない。
ただ、それ以上に流行りという風潮が怖い。盲目的に何かに飛びつくという、あの風潮。自分だって夢中になることは沢山あったのだから、気持ちは分かるはずなのに。
元々、バンドのギタリストで人気を博して生活していきたい、という思いもあったのに、どんなにがむしゃらでも何処か冷めていたし、それが何かしらのストッパーになっていた。当時それは、流行りを馬鹿にするロックの精神と思い込んでいたけど、違う。
むしろ、逆に怖かったんだろう。
ただ、それにようやく気付けた今、こういうとこに恥じらいも無く書けるという精神状態は、悪いことではないし良いことのような気さえする。


dai9101 at 06:57|PermalinkComments(0)clip!内面 | 日記

2018年03月17日

お久しぶりです。

随分と久々になってしまった。また更新していこうと思います。
2017年が終わり、2018年に入り、早3ヶ月。平成という元号も残り僅かになり始めてる。そんな中で、大きな決断をしました。詳しくはあらためて報告します。
まずはライブ動画を紹介。
2月に友人のhappy hourと一緒に演奏した2曲です。



journeyは1年前ぐらいに出来た曲だけど、3人で演奏してようやくあるべき形になった気がしてます。

少し前、人の気持ちが分かる優しい人ですねと言われたことがある。そんなことを言われて、とても驚いた。
自分はそれぐらい、みんなやってるものだと思っていたから。人の気持ちを考えない人など、存在しないと思っていたが、そんなことはないらしい。色んな人を意識して見てると、確かに人の気持ちを考える習慣がない人というのも存在する。
こう書くとそういう人を悪く言ってるようにも見えるだろうけど、人の気持ちを考えられてしまうことが必ずしも正しいとは言いきれない。他人の立場に立つことで、決断が遅れたことは多々ある。ある意味、自分のことをおざなりにして他人の気持ちを考えることに逃げていたとも言える。
それは余りにも綺麗な言い訳で、他人はなかなか自分を責めることができない。そんな狡いやり方を、無意識にずーっとやってきていたのかもしれない。
そして最近行った大きな決断、これは他人の気持ちばかり考えていては出来なかった。自分が生きている中で、最も冷酷になる必要があった。結果としては恨まれることにはなったけど、後悔はしてない。もうただのお人好しだけでは、生きてはいけないところまで来たのだ。

dai9101 at 12:43|PermalinkComments(0)clip!内面 | 自分の音楽系